『我は、おばさん』
小説や映画の登場人物や実在の人物など、古今東西のおばさんを集め、善きおばさんになるには?、について語られている本。
「おばさん」は、我々よりも少しだけ力が強く、少しだけ前を歩いている年長の女性で、立ち往生する若者を見かけたら、やたら親切に世話を焼いてくれる。知力や財力や行動力、もろもろの不思議なパワーを行使して、その恩恵を下の世代に気前よく分け与えてやる。疾風のように現れて疾風のように去って行き、見返りは求めないが、お菓子のお供え物には無邪気に大喜びする。いつか私も、他の誰かの物語におけるそんな「おばさん」になりたい。
43歳の私は「おばさん」と呼ばれることに何ら抵抗はないんですが、その理由がまさにこれ!
もっとも、抵抗がないということについては、特に大っぴらにする機会がなかったので、周りの人達は知らないでしょうけど。
「おばさん」という言葉を蔑称として使うことにより、女性の中高年期そのものを「名称を呼んではならないお年頃」や「直視してはいけない禁忌」扱いするような日本語圏の風潮は、それはそれで変えていくべきだろうと考えている。
この風潮のせいで、大っぴらにしたところで「強がってる」とか「女を捨てた」とか思われて、本心だと思ってもらえないだろうしなー、という気がして、あえて言っていないというフシもあります。
…が、この本を読んで、 「そこはもっとはっきりと言っていかねば。微力ながらも、「おばさん」という言葉のもつ意味を再定義するための草の根運動を進めていかなければ。」 と、考えを改めました。
善きおばさんとなるために必要な条件として書かれていたのが下の5つ。
- 次世代を向いて生きている
- よその子の面倒を看る
- 下心がなく、見返りを求めない
- 少女でもなく、老婆でもない
- 社会の中に自分の居場所を見つけている
次世代を向いて生きている、なんて、老害の真逆ですよね。こういう存在を侮蔑できようか?いや、できない。
「おばさん」というのは悪いことではないよ、と押し付けにならない程度にマイルドに主張していかなければ、と思った次第です。
そして、巻末にある、著者の岡田育さんとジェーン・スーさんの対談の中の、
言葉の定義を変えるより、まずは若い人に、おばさんになると楽しそうと思わせるほうが先かと。自ら率先して楽しんでいる様子を見せて、羨ましがられると、だんだんおばさんという呼称の持つ印象が変わってくる。そうすると自称でも他称でもそんなに嫌じゃなくなるんじゃないかな。
これを実践していこうと思います。
もちろん、
(誰かのための「おばさん」役は)「役」なので、やりたくない人は別にやらなくたっていい。おばさんになんかなりたくないという女性は、その選択をとってもよい。
おばさんと呼ばれたくない人はそれでもいい。
でも、おばさんに対するイメージがかなり変わると思うので、「おばさんなんてイヤ」という人にこそ、この本はぜひ読んでもらいたいです。
30年くらいある「おばさん」という期間が生きやすくなると思うので。
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