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「無我」とは、見知らぬおっさんと身体の一部を交換しあうこと

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『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』

 

こんな形でわかりたくなかった…、という感想を抱いてしまったのですが、東洋哲学についてものすごくわかりやすく書かれている本。

 

 

 たとえば、ブッダ「無我」という哲学。

 

「自分」とはただの「妄想」。

ほんとうは、この世界は、ぜんぶつながっている。 よく観察すればわかる。

 

これだけだとよくわかりませんが、

 

ファミチキは、要は「鳥のからだ」

ファミチキを食べるということは、「鳥のからだ」を吸収している

・「自分」のからだは、食べ物、つまり「自分以外」のものからできている

・鳥も虫を食べていて、虫は草を食べているし、草も水や太陽の光とかからできている

・この世界は全部つながりすぎていて、ちゃんと観察すると「これが自分」と言えるものが何もない

 

なにもかもが、無限にいれかわり続けている。

「自分」も例外ではない。これが、「無我」なのだ。

 

こう言われれば、「自分とか、ない」ってそういうことか、ってわかりますよね。

ちなみにこれ、

 

われわれは、お互いの、「息」や、なんなら「屁」を、呼吸のたびに、すいこみ、身体に吸収しあっている。

同じ空間にいるだけで、つねに、みしらぬおっさんとかと、物質を交換しあっているのだ。

 

とも説明されていて、すっごくイヤな気分になりました。

わかりやすいけど、この説明でわかりたくなかった。複雑な心境。

 

東洋哲学は、「どう生きればいいか」がテーマで、「答え」があるのがいいところだそう。

ブッダだけでなく、龍樹、老子荘子、達磨、親鸞空海の哲学についても書かれていて、もちろんどれもわかりやすいです。

 

東洋哲学をがっつり学ぶというより、ライトに触れたい方におすすめ。

 

自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学 [ しんめいP ]